ロゴデザイナーの鈴木 強(スズキ ツヨシ)です。
私のプロフィールを紹介させて頂きます。
生い立ち
神奈川県・西湘の海の近くの産院でクリスマスイブに誕生。
父は会社員、母は地元の会社でパート職員、典型的な共稼ぎ。
4歳年下の弟がいます。
祖父母と一緒に暮らしていました。
地元のボーイスカウトに所属して、書道、そろばん、
空手などの習い事させてもらい、すくすくと育ちました。
小学校の低学年の頃に向かいの家の絵画教室に通い
その教室には、美人な先生が描いた
平面構成の大きな絵が何点も飾られていたのを
今でも鮮明に覚えています。
なぜか、先生が作ってくれた甘辛いカレーライスの味も、
良い思い出のひとつ。
学生時代
地元の普通高校に進学して部活にも入らず、
コンビニやガソリンスタンドでアルバイトに明け暮れ、
中古のバイク(スズキRG250ガンマ 〜 ヤマハRZ350)を買っては箱根などを乗り回してました。
年に1回真夏に開催される、鈴鹿の8時間耐久レースを
神奈川県から三重まで一般道を使って野宿をしながら友人とツーリング。
何度か8時間耐久レースを見た中では、
YAMAHA TECH21 のブルーのカラーリングに衝撃を受けました。
その頃は、特に絵など描かない、デザインとは無縁の生活。
高校3年になり大学受験も考えつつ、
やりたいことが見つからず、
友人がデザイン系の学校を見学に行くことを知って
一緒に渋谷のデザインの学校を見学に行きました。
確かインテリア科だったような…。
迷った挙げ句、入学したのがグラフィック科。
ここまでデザインの“デ”の字も出てこなかったのが
突然出てきました!
在学中シルクスクリーンの作品に没頭して作った結果!?
努力賞をもらいましたね。
最初の就職(修業時代)
デザインの学校を卒業すると数社面接して苦労もせず、
トントン拍子でグラフィック系のデザイン事務所ではなく(何で??)
青山の展示会のブースをデザイン・施工する会社に就職。
上司に様々なこと教えて頂きながら、展示ブースの動線を考えデザインしたり、
パースを手描きで描いたり、図面をドラフターで引いたり、
大工さんと打ち合わせしたり、現場監督をしたり、全て初めての経験でした。
幕張メッセには、搬入・搬出で車でよく通いましたね。
大阪、名古屋、静岡などの展示会場には、クルマで搬入しましたね。
出張が多くて、スーパー銭湯に泊まったり、
デザイナーの仕事以外の方が多かったですね。
当時は神奈川県の実家から青山に片道2時間掛けて通勤してました。
今考えると我ながら偉いな〜と思いますよ。会社は9時からだったような…)
睡眠時間が少なかったな〜。帰りの電車(東海道線)で睡魔に勝てず、
熱海まで寝過ごしたこともありました。
ブースデザインと並行して展示会用のカタログなどのデザインもしてました。
製品の撮影のディレクションやカメラのアシスタントなども。
カタログの印刷ミスのシール貼りを1日中したり、
カラーコピーのトナーをぶち撒けたり、
今となっては良い思い出。
社長はとても厳しい方でしたが、社会人の基礎を教わりましたね。
社員旅行で初めてハワイに、行きか帰りかは定かではないですが
オーバーブッキングでビジネスクラスでした!
4年間くらいで退社。(25歳くらい)
西麻布のデザイン事務所(苦悩時代)
この事務所で初めて本格的に良い意味でも悪い意味でも、
グラフィックデザインの洗礼を受けました。
そう、徹夜の嵐!会社に5泊くらいしたことも…
コンビニで着替えの下着を買ったり、早朝、横浜(引っ越し)のアパートに帰り、
シャワーと着替えをすませて、事務所にとんぼ返りしたり、ブラ◯クな会社でした。
当時はデザイン業界は徹夜とか当たり前だったような。今でも当たり前ですか!?
因みにデザイン業界は、残業代が付きません。
初めてのMacintosh、そうMacに触れたのはこの頃です。確かMacintosh Centrisだったかな。
今では考えられないけど、インターネットも無かったような気もします。
フルデータでは印刷入稿ができない時代です。
色々悩んだ結果、1年間弱で退社&離婚。(26歳くらい)
恵比寿のデザイン事務所(吸収時代)
初めて広告専門の事務所にアルバイトで在籍。
皆さんがよく知る大手代理店との仕事が多く、
新聞15段広告のデザインやポスターのデザイン
タレントさんとかの撮影とか良い経験をさせて頂きました。
大御所のカメラマンのオーラというか、クライアントも黙らせる迫力を目の当たりにしました。
週末は毎週、朝まで呑んで帰ってました。
結構高額なギャラを貰ってましたね。その頃、個人事業者となる。
ピンセットやペーパーセメントを使用するアナログな版下制作と
Macのデジタル制作が入り乱れていた環境でした。
広告デザインと本気で向き合っていたこの時期は
朝日広告賞などにも応募してました。
広告のアイデアやデザインの新しい見せ方をひたすら考えてましたね。
コマーシャルフォトに掲載されたこともあったな〜〜。
ADC年鑑、TCC年鑑が愛読書でした。
3年間くらいで退社。(28歳くらい)
麻布十番のデザイン事務所(上昇時代)
この事務所でデザイン制作をMacに完全移行、インターネット環境も整ってました。
ここから肩書がアートディレクターとなる。
ポスターやパッケージなど好き勝手にデザインさせて頂きました!
責任のある立場になってましたし、デザインにのめり込んでいたんですよね。
月に何回かの横浜での打ち合わせ前、横浜中華街の朝粥は胃袋にしみました。
バリの社員旅行とか良い思い出。
2年間くらいで退社。(30歳くらい)
築地のデザイン事務所(心労時代)
社長兼コピーライターとアートディレクター兼デザイナーの私を含めた2人だけの会社です。
打ち合わせからデザイン制作、プレゼンテーションやらコピーライティング以外、だいたい一人でしてました。
社長兼コピーライターが出社してこないので、とにかく雑務と仕事が膨大で、
丁度この頃、個人的にも仕事を受けていたから、それで仕事量が多かったんです。
夕方まで会社の仕事をして、夜から朝方まで自分の仕事をしてました。
徹夜明けに築地場外市場でラーメンとか食べてましたね。
印象深い仕事では突発的に決まった、ポスターの案件で
数時間でポスターのデザインを数案制作して
翌々日に東京から大阪まで向かい、当時 阪神タイガースの新庄選手を日帰りで撮影をしました。
制作から撮影まで3日くらいでした。
最後はキレて辞めることになります。
1年間くらいで退社&結婚。(31歳くらい)
2000年 スズキデザイン事務所 開業(エンジョイ時代・継続中)
それにしても、今まで色々な仕事をして来たもんです。
現在でも、カタログ、パッケージ、広告、Webデザインなど代表兼グラフィックデザイナーとして活動しています。
Adobe Premiere Pro、After Effects 勉強中。動画編集も楽しいですね。
スズキデザイン事務所の仕事を継続しつつ、
2018年5月よりロゴサイト・ロゴだくを運営開始!
現在に至る。ロゴを制作して実際に納品した数(事例)は多分、200社以上。
2019年現在そして未来
ロゴサイト・ロゴだくを運営開始してから1年が経ちました。
見たヒトの記憶に残るロゴをデザインして、10年、20年使用して頂けるロゴマークのデザインを目指します。
今後はデザイナー参加型のロゴサイトにします。
ロゴサイト名“ロゴだく”の由来
“ロゴだく”の「だく」はつゆだく「だく」。
コンセプトがドンブリからあふれ出るくらい満載に!
そんな願いを込めて名付けました。
“ロゴだく”について
もう少し詳しく知りたい方はこちらをお読みください。
ロゴだくとは
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